沖縄の食文化を支えた甘藷(サツマイモ)の歴史

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沖縄が起源となった甘藷(サツマイモ)の歴史

実は、沖縄が起源となったサツマイモ。中国から沖縄に伝来した1604年が起源と言われています。

もともと中南米の作物として紀元前800〜1000年前から作られていましたが、

コロンブスがアメリカから持ち帰ったことがきっかけで、ヨーロッパ、アフリカ、東南アジアに普及し、

その後中国へと世界に広まった歴史があります。

日本で、甘藷が「サツマイモ」と言われるようになったのは、沖縄から薩摩を通じて日本に広がったことがきっかけです。

 

 

 

沖縄の食を支えたサツマイモ

実は、沖縄の土壌は水捌けがよく台風などの厳しい気候に作物がさらされることから、

昔から食物不足に悩まされた背景があります。

そんな時、中国から入ってきたこのサツマイモは、稲作よりも気候不順に強く、1年に何度も収穫ができることから

飢饉と悪疫流行で悩まされていた沖縄の食を大きく救った食物でもありました。

当時の沖縄の基幹産業は農業。

サツマイモとサトウキビは、大正時代において収穫面積が全耕地の88%、その中の畑地の77%を占めていたほど

栽培される代表的な農作物でした。

 

 実際に、【日本の食生活全集47/聞き書 沖縄の食事】によると、

野国総管(のぐにそうかん)が沖縄に甘藷を持ち込み、儀間真常(ぎましんじょう)によって栽培が広められてから、

それまでの琉球王朝(第一尚氏時代)の人口が7〜8万人が、100年後には人口20万人にまで増加、

さらに昭和初期には3倍の60万人にまで人口が膨張したと記載されています。

主に食料充実が人口増加の大きな要因と言われており、それを支えたのがサツマイモだったと言われています。

また、人だけでなく、豚や牛の飼料として、酒造原料としても適した食材でした。

 

参照:農林水産省 サツマイモ 「どこからきたの?」

参照:紅赤いも 歴史物語

参照:「日本の食生活全集47 聞き書 沖縄の食事」 発行所/社団法人 農山漁村文化協会

 

 

 

品種改良を重ねて美味しくなった紅芋

実は、沖縄で食されてきた芋の種類にはサツマイモ以外にも、田芋(水芋:里芋の一種)、紅芋などがあります。

田芋は宜野湾市の大山や金武町、紅芋で有名なところが読谷です。

実際に読谷の紅芋といえば、村おこしで生み出された「紅芋タルト」が有名な紅芋を使ったお菓子。

沖縄の観光お土産で長年人気を誇るロングセラー商品です!

 

そんな沖縄の紅芋は、肉食が赤紫色で、アントシアニンが豊富。

よく紫芋と間違えられますが、紅芋はヤムイモの一種、紫芋はサツマイモ一種で品種の違いがあります。

また、紅芋の方が加熱すると甘みが出るのが特徴。

そんな紅芋は、品種改良を重ね、1975年に読谷村で栽培がされるようになった濃紫色で食味の良い品種「宮農36号」

を紅イモと呼ぶようになり、ブランド化していくことになります。

今では、食味がよい「備瀬」と色味が安定する「VS」と呼ばれる品種を掛け合わせて、

Omoimoでも提供している「沖夢紫」や「ちゅら恋紅」が主流となって栽培されるように。

味も色味も鮮やかで美味しい紅芋へと進化しています。

 

 

 

 

参照:沖縄におけるかんしょの伝来から品種の分化と発展

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